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板倉町PR大使 染宮さん ダカール・ラリー2021に参戦

更新日:2021年11月16日

日野チームスガワラのダカール・ラリー クラス12連覇に貢献

板倉町PR大使の染宮弘和さん(48)は、サウジアラビアで1月に開催されたダカール・ラリー2021に「日野チームスガワラ」の選手として出場し、トラック部門総合12位、排気量10リットル未満クラスで優勝しました。2度目の挑戦となった染宮さんは、ドライバーをゴールに導くナビゲーターの役割を担い、チームのクラス12連覇に貢献しました。(写真:日野自動車提供)

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ダカール・ラリーは世界一過酷なモータースポーツといわれ、広大な砂丘や岩だらけの荒野がコース。常にパンクや転倒の危険と隣り合わせで、競技車両はもちろん、選手が受けるダメージも大きい。染宮さんは「何回も続けて交通事故に遭っているようなもの」と表現しています。約2週間に亘った今大会の総走行距離は約7700kmに及び、首や腰を痛めたそうです。

ナビゲーターは主催者から配られたロードブック(ルート指示書)を読み解き、各ステージに数十カ所あるポイントを通ってドライバーを誘導します。道なき道を進むため責任は重大。進行方向の角度を一度誤るだけで、大きなタイムロスにつながるそうです。染宮さんは「常に間違いはないか自分を疑う。正しい道を行くより、すぐにミスに気付いて修正することが大切」と語っていました。

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    染宮さんが乗車した日野レンジャー。砂漠の中を走り続けた。(写真:日野自動車提供)

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    日野チームスガワラの一員として参加した染宮さん(左)。(写真:日野自動車提供)

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    ゴールセレモニーの様子。(写真:日野自動車提供)

今大会は、序盤にアクシデントが相次ぎました。最大のピンチは3日目の第3ステージで、砂丘を下る際に転倒。前輪がくぼみにはまって前方に転がり、車体が180度回転。車のボディーやフロントガラスが大きく損傷しました。3人の乗組員やエンジンは無事だったものの、自力で車を起こすことができず、ラリー参加中のトラックに引き上げてもらう場面も。染宮さんは「ダカール・ラリーの参加者は『おたがいさま』の精神がある」と感謝を口にします。

今大会の完走率は67.5%で、50%を切る年もあるダカール・ラリーは「完走したすべての者が勝者である」と称えられるほど。30回連続完走の日野の一員となり「ゴールの瞬間は、ほっとした気持ちが一番。これからもバトンをつないでいきたい」と情熱を燃やし続けます。

コロナ禍で帯同メンバーは最小限

今年のダカール・ラリーは新型コロナウイルスの影響で開催が危ぶまれました。出発1週間ほど前にサウジアラビアの国際線が運航停止となりましたが、主催者がチャーター機を用意、特例で入国が許可されました。車両整備を行う技術者ら帯同メンバーも最小限の人員でした。染宮さんも出国前に2度、サウジアラビア到着後に1度PCR検査を受けました。「開催に道を探ってもらえたのでありがたかった。コロナ禍の難しい状況でも、動いたスポーツがあることを知ってもらえたら」と話していました。

ダカール・ラリー

砂漠や山岳地帯などを走り、どれだけ短時間でゴールできたかを競います。四輪車、トラック、バイクなど大きく五つの部門があり、今年は286台が出場しました。車の性能や運転技術、帯同する技術者の整備力が試されます。

1978年に第1回大会を開催。パリからセネガルの首都ダカールまでのコースで開かれ、「パリ・ダカ」と呼ばれた。2009年から19年は南米、20年からサウジアラビアで開催されています。

板倉町PR大使

染宮 弘和(そめみや・ひろかず)さん

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1972年5月、板倉町生まれ。太田高―東海大。大学では工学部航空宇宙学科で学び、卒業後は米国の大学院に2年ほど留学。映像制作やドローンの講習会、位置情報サービスを手掛けるラリーストリーム(館林市)社長。板倉町PR大使。

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