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水塚・揚舟

更新日:2018年09月11日

水場の歴史を学ぶ

 板倉町には、利根川と渡良瀬川との合流点に形成された低湿地が展開しており、水場と称されています。古来よりオオミズ(注釈)が多い地域であり害と益を受けながら、生活を営むための様々な工夫が行われてきました。かつて悩まされてきた水害も治水が進んだ今はなくなり、水害対策の様々な知恵は歴史の語り部となって息づいています。町内にはあちこちにその歴史を偲ばせる景色が広がります。「水塚」や「揚舟」は板倉町の水郷文化を象徴する遺構といえるでしょう。

(注釈)
 オオミズ : 昔の人は、河川の氾濫を水害と言わず「オオミズ」と称しました。氾濫により土壌に栄養分が行き渡り次の年が豊作となったことなど、洪水が害だけをもたらすものではなく利益も与えてくれるものと考えていたようです。

水塚

 水塚は、水害から生命・財産を守るために屋敷の庭より3から5メートルの土盛りをした上に納屋あるいは土蔵を作ったものです。母屋の2階の床の高さと水塚の天場(てんば)の高さは同じで、谷田川堤防の高さとも同じです。納屋あるいは土蔵の中には1階に米・麦・味噌・しょう油を、2階には衣類や炊事道具、家具類を保管しておきました。また、水塚の天場には洪水時牛馬をつないでおきました。

水場の歴史[歴史・史跡](水塚画像)

揚舟

 揚舟はふだん家の軒か、納屋のオシロの梁に、太い麻縄等で吊り下げておきます。水害時に住民、家畜、穀物等を水塚へ運んだり、近くの高台へ運んだりしました。また、親戚に水見舞いに行ったり、水中に稲を船刈りするのに用いました。

水場の歴史[歴史・史跡](揚舟画像)

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